SNS四方山話:コメント心理とSNS疲れの関係?! コメントは『たまに』なら自然? いつもなら不自然?

多くの人々は見ず知らずの人にいきなり気さくに話しかけません。それと同様に見ず知らずのブログに突然コメントすることもあまりないと思います。一方、 SNS であればそもそもが知り合いや友人関係からのスタートですから、気軽にコメントしあえます。気軽にコメントしあえるのは良いことです。しかし、コメントが『できる』から『しなければならない』ものになると、自分の気持ちに嘘をついてコメントし続けることに繋がります。その小さなストレスの蓄積が身体へ悪影響を及ぼし、それを原因として感じる肉体的・精神的疲れが SNS 疲れの正体と考えることはできないでしょうか。

ブログにコメントしないのはとても自然

私は見ず知らずの人にいきなり
気さくに話しかけることはあまりありません。

私は路上の演奏に『おっ!』と思うことはあっても
積極的に関わりを持とうとすることはあまりありません。

同様に、私はブログにコメントを
積極に付けることはあまりありません。

みなさんはいかがでしょうか?

頭抜けて素敵なブログなら

素敵ものに接すると、感嘆が漏れるとか、
鳥肌が立つとか、つい笑顔で拍手してしまうとか、
人にはこのような敬意や受容の様々な反応が自然と現れます。

このような場面では、肯定的な方向で
注意を払う、時間を掛ける、お金を払う
といった行動をとりやすくなります。

ですから、飛び抜けて役立つブログや、
飛び抜けて興味深いブログなど、
本当に頭抜けて琴線に触れるような素敵なブログならば
コメントが付いても不思議ではないと思います。

逆に、それ以外の多くの場合ではコメントは付かない、
あるいは、少ないと考えるのは自然に思えます。

万に一つの頭抜けたブログは例外として、
ブログにはコメントが付かないのが普通だと思うのです。

(招待性) SNSではコメントが付く

誰でも多少は肯定されたいし、良く思われたいです。
ブログに肯定的・建設的なコメントが付けばうれしいです。

ブログへの反応がまったくなければ
多少がっかりしてしまうかもしれません。
実際には少なからぬ人が見ていて、
肯定的に捉えられていたとしても、
作者がそれを感じられないということで
ブログを続ける気力がなくなるかもしれません。

そこで SNS です。
SNS ではお互いが知り合いです。
見ず知らずの人には話しかけなくても、
知り合いならば声を掛けることもあるでしょう。

SNS ならば世界一すごいブログでなくても大丈夫です。
ちょっと素敵なことであれば、知り合いの誰かが
『いいね』と肯定的な反応してくれることもあります。
コミュニケーションのハードルが低いから無理をしなくても良いのです。

SNS 疲れ

自分のブログに友達がよくコメントしてくれているとき、
もしも、自分だけまったくコメントしなかったらどうでしょうか。
ちょっとだけ申し訳ない気持ちになるかもしれません。

友達のブログから何か見つけて
何か良いコメントを返してあげようかな
などのように感じるかもしれません。

この、お互いにコメントしあうという状態の
度が過ぎると、コメントが気持ちの表現ではなく
義務的なタスクに切り替わります。

仲間内であれば、『ちょっとだけ素敵』
程度でも『気軽にコメントできる』はずが、
いつでも肯定的『コメントをしなければならない』
雰囲気ができていれば度が過ぎていると言えます。

コメントしてもらった以上、お返しとして
コメントしてあげた方が良いだろうと考えることで、
コメントしないということに罪悪を感じる可能性があります。
そうなるとコメントしなければならないという
バイアスが掛かる一方なので、いつの間にか度が過ぎてしまいます。

特に素敵でないにも関わらずコメントすることは
自分の気持ちに嘘を付くことになります。
かといって、コメントしなければ『あなたのブログは
素敵ではない』というメッセージを送ることと同じに見えます。
さらに『あなたのブログは素敵ではない』と表明することは、
自分に優しさが欠けていると見られることに繋がるかもしれません。

それはあまり気持ちのよいものではありません。
友達関係も良好でなくなる不安も感じます。

そうなるよりは、例えば、

私のブログは他の人よりもちょっとだけ素敵なので、
みんなが気持ちよく肯定的なコメントをしてくれる。

私は友達のブログが素敵だから
(仮にそうでないものが一部にあっても) 、
私は自分の気持ちに素直に (あるいは優しさで)
礼儀正しくコメントしている。

このように感じ、振る舞う方が気分が良いようにも思えます。

けれども、実際には自分の気持ちに
嘘をつき続けることに繋がります。

コメントしなくてもよいし、実際にしない…
という選択肢をとれない場合、これは自分に裁量がなく、
不本意な行動を強いられている状況に近いものがあります。
自分で意思決定できないことは健康を損なうことに繋がることが知られています。

小さなストレスでも積み重なれば、大きなストレスと同じか
それ以上のダメージになることが知られています。

内臓の内部には基本的に痛覚がないため、
ストレスによる内臓へのダメージは不快感、不安感、疲れなど
痛みとは異なったかたちで現れることがあります。

SNS 疲れとは以下のように考えることができるかもしれません。

自分の気持ちにいくらか嘘をつかざるを得ないコメントの継続。
それによる小さなストレスの蓄積と、身体 (内臓) への悪影響。
内臓は痛覚がないため、それを疲れとして認識しているのが SNS 疲れではないか…と。

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